アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
新規投稿

新規投稿するにはログインする必要があります。会員IDをお持ちでない方はIDを取得された後に投稿できるようになります。

2009年04月11日

4/10市民時報「読者の声」に思う

昨日4/10の市民時報「読者の声/世界遺産夢のまた夢」を見られたでしょうか?丁度、今週のどっかでの市民時報の「鶏頭楽(コラム)」のところで高山を3年ぶりに訪れた世界遺産のコーディネーター?の方が講演で「がっかりした」と嘆かれていた記事を読まれた方も多いはず。今回の「読者の声」はそれに応えた形のご意見でした。
投稿者は「三之町の一住人」さん。ココで言う「三之町」とは「上三之町/古い町並」を指すのでしょう。内容を読まれた方はご存知でしょうが、ここ最近の上三之町の「売らんかな・儲け主義」に走りすぎた景観保全や商売マナーの乱れが観光都市・高山の長らく顔であった「上三之町/古い町並」の価値を下げている、このままでは下品な土産物通り(ちょっと言い過ぎか?)になってしまう、行政はもっと景観保全や商売マナーの指導をスピーディーに行なえ!といった生々しい切実なる内容でした。僕たち家族一同「もっともかいな...」と思わず感じ入ってしまいました。と同時に、自分も時に「売らんかな・儲け主義」に走りすぎてないか?景観保全に努めているか?など思わず自問自答してしまいました。

同じ上三之町の一住人である我が家の場合はどうでしょうか?
我が家は代々200年にわたってここ上三之町10番地に居を構え、代々「清酒醸造」を生業としてきました。戦前は飛騨高山で一番の売上を誇った名門蔵。それが戦中の国家による物資統制(米)により、我が家と数件の大きな蔵が製造免許を取り上げられてしまい、戦中の数年間、清酒醸造という生業を絶たれ、戦後GHQの指令による免許枠の返還命令により「たてうり(オークション)」を行なって家財を売ってお金にし、再び製造免許を購入したという過去がございます。当時の当主であった祖父の苦労は並々ならぬものがあり、父が薬剤師という職を捨てて東京から戻って家を継いだ時には、戦中に休蔵していたために他社に得意先を奪われ、毎月会社の資金繰りに銀行を駆け回っていたそうです。その時の出納帳が今でもあり、見ただけで父の当時の苦悩が思いやられるばかりです。その頃は「日本のチ〇ット→差別用語的で失礼」と日本中から言われていた高山も1970年に国鉄が開始した「ディスカバージャパン/心のふるさと飛騨高山」キャンペーンで火がつき、あっという間に一躍観光地になったのは皆さんもご存知の話。事実、我が家もこのキャンペーンの波に乗り、また得意先様の支援により、一時は生産が追いつかないほどの恩恵を頂きました。父も母も必死で働いていました。夏場など5:30に開店し21:00まで開けていてもお客さんの下駄の音が聞こえてきたものです。姉も僕も交代で店番しました。どこにも家族で遊びにはいけなかったけれども、父と母の懸命に生きる背中を見て育ちましたから、なんとか真っ当に成人できましたし、実際それ以外では何不自由なく育ててもらいました。

我が家にとって清酒醸造販売とは「生業」であり「家業」なのです。
代々その暖簾を食いつぶすことなく自分で暖簾に更なる価値をつけて次代へ受け渡す。
「企業」である前に「家業」なのです。
我が家はここ上三之町に住むこと=家業を継続することに他ならないのです。


我が家は「年中無休」です。元旦も10:00から開店しています。
上三之町では火曜日に休まれるところもあれば、冬場だけ週一で休まれるところも多くなってきました。人間ですもの。休んでこそ力も出るというものです。家族サービスも出来るというものです。僕も家族水入らずで親孝行したいくらいは思います。
でも、なぜ我が家は「年中無休」なのか?
それは商売で儲けるという前に、高山に来ていただいたお客様に門を閉ざしたくないという思いだけから開けているだけです。国鉄・行政・観光協会その他様々な機関のキャンペーン・施策があったからこそ今がある、だからこそ高山の顔の一人としていつでもお客様をお迎えできる体制で臨むことが、これらの恩になった方々への恩返しだと今でも思っています。また支えてくれている市民の方への精一杯の恩返しだとも思っています。
だから「年中無休」なのです。

市民時報の「読者の声」にはホント感じ入るものがあります。
確かにここ数年「売れればとにかくいいや」的な感じもありますし、なんでもかんでも「飛騨高山」をつけて売ればいいや的なところが少なからずあるのではないでしょうか...

6年くらい前でしょうか...2回程、行政の方が主宰するオンリーワンの観光都市・高山を語る意見交換会に呼んでいただきました。某大手ホテルさんの社長様をはじめとして伝統工芸の重鎮の方まで高山の観光に携わる業者の方がそこには呼ばれていました。そこへいくと僕なんぞ「若造」。こりゃ下手に話せんなと思っていたら、意見を求められましたので思い切ってこう話しました。

「我々、観光に携わる業者は先達が築いてこられた飛騨高山という暖簾を食いつぶしてはいないでしょうか?儲かればいい!という考えが悪いとは言いませんが、飛騨高山の名前に頼りすぎていないでしょうか?オンリーワンを探すのも大切ですが、我々は飛騨高山の暖簾を使わせていただくのと同時に、次代のためにその暖簾に貯金をしていくことをまず考えなければならないのではないでしょうか?」と。

当然、意見はスルー(^_^;)でも今でもその考えは間違っていないと思っています。

皆さん我が家のような「家業」な方ばかりではないことは承知しています。「住人」じゃない方が多いのもわかってます。
儲けるのが悪いはずありません。生きていくために皆さん必死なわけですから。

でも本気で「飛騨高山」の暖簾を耕している方ってどれくらいいるのでしょう...

上三之町で商いをしている皆が少しずつでもいいからこの事を大切に考えていてくれたなら...今回のような悲痛な意見は投稿されなかったのではないでしょうか?

今回の「読者の声」、我が家にはズドーンと胸の奥まで響き渡りました。勉強になりました。ありがとうございましたm(__)m
行政に頼るのも大切な手段かもしれませんが、一番大切なのは、そこで商売をする我々の自覚なのだと僕は思います。

いずれにしても我が家のスタンスはぶれません。そりゃこの景気です。決して楽でもないですし油断も出来ません。でもぶれるわけにはいきません。ご先祖様・先代の暖簾を次代へ受け渡すのが僕が受けた天命なのですから。
みんなで飛騨高山の暖簾を耕しましょう!!まだまだ間に合いますって!(^^)!

閉話休題。

4/10市民時報「読者の声」に思う


昨日エイデンへ行った時にコーエイの「三国志9」が3580円と割安だったので思わずついで買い。インストールしてみたら何と2003年版の再販。どおりで安いわけだ(゜o゜)とは言っても自分は三国志は「4」までしかやっていないのでワクワクドキドキ!>変ですか? 特にシナリオがマイナーで多彩なのが気に入った!蜀最後の戦い「剣閣の戦い」が含まれているのがグレート!孔明に後事を託された「天水の麒麟児」こと「姜維」が率いる蜀軍が最後の戦いを魏と繰り広げます。ん~早くやりてぇ~!って言ったって、もうすぐ春祭り→JCマンスリー→GWと続き、やる時間は絶対的にねぇな...
でも早くやりてぇ~icon10

あなたのワンクリックで勇気が湧いてきます!
人気blogランキング




タグ :飛騨高山

Posted by katsu348 at 01:38
この記事へのコメント
遅ればせながら。

上三之町の関係する一関係者として

んんんんん~

不況だから売れるにこしたことにはないけど、って思います

行政の手を借りるのもどうかと思う気もします

桜に負けず頑張りましょう!!!!!
Posted by 僕(^0^)僕 at 2009年04月12日 09:32
僕(^0^)僕様>

おぉ。関係者さんでしたか!

行政も民事には介入限界があるでしょうからねぇ~。

ウチはぶれずにがんばりぬきますよ!
Posted by katsu348katsu348 at 2009年04月12日 15:07